教育基本法「改正」に反対する会長声明
2006年(平成18年)9月12日
兵庫県弁護士会 会長 竹本 昌弘
政府が提出した教育基本法改正法案及び民主党が提出した日本国教育基本法案は、それぞれ第164回通常国会に上程され、国会閉会により現在継続審議となっている。そして、政府は、今秋の臨時国会で教育基本法「改正」に最優先で取り組むことを明らかにしている。かかる情勢下、兵庫県弁護士会は、以下の理由によりこの両法案に反対するものである。
1 憲法の基本理念に関する重大な問題であるにもかかわらず十分な国民的議論がなされていないこと
教育基本法は、前文で、「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」と謳っているように、日本国憲法の理想を実現するための法律であり、かつ憲法が保障する教育にかかわる基本的人権を実現するために定められた教育法規の根本法である。
1989年国連で採択された子どもの権利条約は、締結国において、子どもの教育は「人権及び基本的自由並びに国際連合憲章にうたう原則の尊重を育成すること。」を指向すべきとしており(同条約29条)、現行教育基本法が、個人の尊厳を重んじ、子どもが基本的自由の保障のもとで学び成長する権利を保障していることは、我が国も批准している同条約と調和している。 かかる教育基本法の「改正」は,憲法及び子どもの権利条約の理念や基本原理にもかかわる重要な問題である。
しかるに、政府案も民主党案も、非公開の協議会等で議論されたに過ぎず、国民に対する十分な情報提供はなされず、国民的な議論などは殆どなされていない状態であって、にもかかわらず政府及び民主党が先の国会に両法案を提出したこと自体が、同法の重要性に鑑み,主権者たる国民の意思を軽視するものと言わざるを得ない。
2 両法案は、教育の自由保障を大きく後退させるものであること
教育基本法は、憲法13条に規定された個人の尊厳原理に基づく教育を構想し、教育の自由の保障のもとで、国民一人ひとりが学び、成長する権利を保障し、国の権力的な教育現場への介入に歯止めをかけている。すなわち、現行教育基本法第10条第2項は、「教育は,不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任を負って行われるべきものである。」との同条第1項を受けて、教育行政の役割を、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立に限定している。この規定は、戦前に教育に対して過度の国家統制がなされたことを反省し、教育の自主性尊重の見地から、教育に対する不当な支配や介入を抑止するという歴史的理由のもとに設けられた規定である。
しかるに、両法案は、現行法第10条第2項の規定をあえて削除した。これは教育行政の役割を「条件整備」を超えて、教育内容の決定にまで拡大させる意図があるからとしか考えられない。
さらに政府案は、改正法16条で、教育が「法律の定めるところにより行なわれるべきもの」とし、また、両法案とも政府が「教育振興基本計画」を定めるものとしている。これと両法案が新設しようとしている、教員の養成・研修、家庭教育、幼児教育、学校・家庭・地域住民の連携協力等の規定と合わせて読めば、国が国民の教育全般を管理し、統制することができる制度をめざしていることが危惧される。
3 両法案は、「思想及び良心の自由」(憲法19条)を侵害する事態を招く恐れが強いこと
両法案とも、「わが国と郷土を愛する態度を養う」(政府案)、「日本を愛する心を涵養する」(民主党案)として、いわゆる愛国心について規定したのをはじめ、伝統・文化の尊重、道徳心、公共心など、内心や価値観にかかわることがらについて規定している。政府案は、国が規定するあるべき「態度」を養うことを教育の「目標」とする。
このようなことがらを法律で定めることは、憲法19条、子どもの権利条約14条(「締約国は、思想、良心及び宗教の自由についての児童の権利を尊重する。」)によって保障される思想・良心の自由を侵害する事態を招く恐れが強く、決して許されることではない。
4 現行教育基本法の理念を実現することこそが必要であること
政府案について、文部科学省は、子どものモラルの低下、学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下等の問題があることから、教育基本法を改める必要があるとしている(文部科学省「教育基本法案について」平成18年5月説明資料)。民主党案について、同党は、「人生のスタート段階における格差問題、いじめや不登校、学力低下の問題、さらには昨今、小中学生をめぐる悲惨な事件」を「教育現場の問題」と位置づけた上で、同じく教育基本法を改める必要があるとする(民主党提出の「日本国教育基本法案」の趣旨説明)。
しかし、ここで指摘されている「教育上の問題点」は、現行教育基本法を「改正」しなければ解決できないものであるのか、現行教育基本法を「改正」することによって解決できるものであるのか,という点について、両法案とも、説得的な説明はなされておらず、教育基本法を「改正」すべき理由は存在しないと言わざるを得ない。
むしろ、かかる問題点は、例えば、経済的格差の拡大により実質的な教育の機会均等(現行法3条)が実現しないことや、高度に競争主義的な教育制度が改善されず個人の価値の尊重(現行法第1条)がともすればおざなりにされてきた実態があることなど、現行教育基本法の理念が十分に実現されてこなかったことに原因がある。
わが国の教育をより良くしていくために必要なことは、「改正」の必要もないままに現行教育基本法を「改正」することなどではなく、むしろ教育基本法がもつ普遍的理念を具体化するための施策を実施することである。たとえば、少人数学級を速やかに義務教育の全学年に行き渡らせることや、わが国が国連子どもの権利委員会から何度も勧告されている「高度に競争主義的な性格」を是正することこそが、現行教育基本法の理念の実践であり、「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備」(現行法10条2項)を課された教育行政の義務であり、直ちに実現されなければならない。
以上の観点から、兵庫県弁護士会は、教育基本法の「改正」を内容とする政府案および民主党案の両案に対して、強く反対するものである。